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現軽川に架かる「下手稲橋」の手前、お寺の敷地の前からは東北東へ流れる軽川から離れて、
左岸土手下に発する一本の細い水路が北へ向かう。この水路を「旧軽川」と称している。しか
し、古い地図を調べてみても、かって軽川がここを流れていたという記録がない。明治期の地
図での軽川は石狩手稲通に沿って流れ、大正・昭和前期には前田地区農地の用水・排水路とし
て、複数に分流して現在の軽川流域を流れていたようだ。実は「旧追分川」の流路の一部であ
ったらしい。
それはともかく軽川の土手を降りて旧軽川と名付けられた小水路に入ってみる。近くに寄っ
てみると、この水路は積極的に川水を流すというよりも、遊歩道として一貫して人工的に整備
されたもので、旧追分川の流れていた頃に掘り込んだ2m深さの護岸の底にさらに深さ10セ
ンチ、幅1m程度の浅い水路を中心に両側を遊歩道となっている。
しかし、狭い川底からは周囲の風景も眺められず、ウォーキングの楽しさは半減しよう。行
政側の本音としては、増水・洪水など非常時の排水の備え、防災施設としての機能の方が比重
が大きいようだ。それでも、木の手摺・柵を全行程に装備し、所々に花鳥風月の木彫りや花壇
を配するなど、住民に親しんでもらおうとの努力の跡は覗える。
旧軽川は元々の旧追分川の自然流路の曲がりをそのままに、下流へと向かう。1キロほど歩
いて「三晃ぼうけん公園」という子供向け遊具の多い公園の横に出る。「三晃」というのはこ
の辺りの地域の通称か。
歩きながらだんだんと空模様があやしくなってきたと思っていたら、ついにかなりの降雨に
なった。出掛けに高を括って傘を持参せず、仕方なくとある橋の下でしばしの間雨宿りする。
川端の大きなしだれ柳が雨風に煙る風情もまた乙なものだとは、やせ我慢か。
雨足はなかなか止まず20分もそこに居たろうか、じっと我慢して雨が小降りになるのを待
ってその先の歩行を続ける。ここからはほどなく新川の土手が正面に立ち塞がり、旧軽川の終
端の流れは柵付きトンネルから土手を潜り中の川を経てすぐ新川に注ぐ。柵の前には少し広い
コンクリート製の水溜めスペースがあって、すぐ横に「旧軽川排水機場」の排水ポンプ施設が
ある。これも防災用の非常施設である。
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旧軽川の起点・分離帯の掘込み |
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旧軽川の水路、バラの実がきれい |
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雨宿りの橋下から水路を見る |
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新川土手から見る旧軽川の終点 |
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