白石の歴史を歩く
'08.08.05. 晴れ
 白石小学校前庭には「佐藤孝郷顕彰碑」が置かれているが、当時若干22歳の 家老だった佐藤孝郷が指導者として白石の開拓と発展に貢献したことに因む。顕 彰碑はタイルで表面を化粧された1m角のコンクリートブロック上に黒御影のプ レートが嵌め込まれたものである。校舎前庭正面の古木の蔭には今時少なくなっ た二宮尊徳像も建っている。旧白石藩士らが切り拓いた台地の中央を貫通する道 路が元になって現在の国道12号線(土地の人は「本通」と呼ぶ)が造られている。


 JR白石駅前の平和通に面して、以前通産省の「産業技術総合研究所・北海道 センター」があった。最近になって月寒東地区に移転した後の広い跡地には、大 きなスーパーが進出している。この地に通産省の出先機関があった事実には、か って白石地区が札幌の工業・製造業の中心であった歴史を物語っている。また、 今では「白石中の島通」が賑やかな駅前通になっているが、これは戦後に新たに 開削された道路で、昔はその一本西側にある細い通りが月寒地区と白石駅を結ぶ 幹線道路(「連隊通」と呼ばれた)であった。


 スーパーから白石駅に近づいて次の信号を東に折れるとまもなく「やなぎ公園」 の横に出る。公園そのものはありきたりの街区公園なのだが、シラカバ、タモ、 ヤナギ等の立派な樹木に囲まれて、レンガで縁取られた砂遊び場、水遊び場の中 に一風変わった造作物が置かれている。それはコンクリート製の石炭ストーブの 模型である。樽形の懐かしい形状は北海道で最初に石炭ストーブを製造販売した 福禄ストーブを想い出させる。明治から大正期にかけて白石駅の周辺ではレンガ の製造が盛んで、道庁庁舎(赤レンガ)、東京駅などに用いられたレンガもここ で造られた。


 JR鉄道線路に沿う道路をさらに東に歩いて「水源地通」の高架橋を潜るとま もなく「白石本通墓地」がある。この墓地は古く明治期に造られたもので、市内 の新しい墓地とは違って、個々の墓所・墓石は疎らに好き勝手な向きと趣向で建 てられており、敷地の草も自然の伸びを見せて何とも鄙びた味がある。この墓地 の中央部付近には、褐色のつややかな陶製土管で造られた墓石が数基座っている 一角がある。古い墓石は大正5年建立と記されたものもあり、いかにも窯業の盛 んであった昔の白石の姿を見せてくれる。現在では貴重な文化遺産であり、産業 遺産でもある。
佐藤孝郷顕彰碑
白石・やなぎ公園
水遊び場のストーブ
陶製土管の墓石群
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