澄川を歩く
'08.11.15. 晴れ
 「澄川」という地域は、精進川と望月寒川とに挟まれて南北に長い。昔は、上西岡とか精進川沿 と称されていた時期もあったらしい。今回は「紅桜公園」を起点にほぼ平岸街道に沿うコースで南 から北へと歩いてみた。紅桜公園は整備された日本庭園としてよく知られているが、最も奥の開拓神 社にまずお参りする。澄川地区も含めて南区には社殿を持たない神社がいくつかあって、他の区で はあまり例がない。開拓神社の前の鳥居は余り見かけない屋根付きの鳥居でおもしろい。


  鳥居の前から奥へと進んでいくと火山灰の崖を掘り込んだ小広場に出る。周囲に銘石や銘木を 配した中、高さ3mもあろうかという石の大灯篭と観音様を祀った洞がある。側に寄ってよく見る と石灯篭は明かりを入れるような構造にはなっておらず、表向き灯篭の形をした平面的な石のモニ ュメントであった。観音様の鎮座する洞は過去に奥を手作業のコンクリートで後で塞いだらしく、 話に聞いた戦時中の防空壕の跡ではないかと思われる。


 紅桜公園を出て澄川4条と5条の間の道を真っ直ぐに北へ歩く。道の右側は平岸台地に続く高台 の崖になっており、道道82号西野真駒内清田線(この辺りは通称「五輪通」と呼ぶ)に交叉する 直前の高所に石板が取り付けられており、注意していないと見過ごしてしまいそうだ。側の石段を 上がると狭い敷地に澄川開拓の3つの記念碑がまとめて安置されている。





真ん中の「豊受姫神碑」(昭和21年建立)は戦後の心の拠り所と五穀豊穣を願って、右の「新設 大林碑」は大正5年澄川のカラマツ林が全道一の表彰を受けたのを記念して、左の「山之神熊之神 碑」は澄川で最古のもので開拓の安全を祈願して明治13年の建立となっている。しかし、周りは 高台の立派な戸建て住宅に囲まれて、碑の座る敷地の崖上には民家のベランダが張り出しており、 これでは神様達もあずましくなかろう。
紅桜公園開拓神社
公園奥の大灯篭と観音洞
澄川開拓記念碑への石段
澄川開拓記念三石碑
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