新川・花川を歩く
'07.06.12. 晴れ
 新川の左岸を「西陵橋」の下を潜って500mほど北西へ進むと「天狗橋」の袂 に出る。ここには橋の謂れが碑文に刻まれていて、それによると明治42年に 川の新琴似側にあった小学校分校へ発寒側から通うために架橋されたという。 橋の名前はその3年後の新橋架橋の時、工事請負の棟梁の鼻が高く天狗のよう だったとか、工事に関係した琴似屯田兵の一人のあだ名が天狗であったとか、 諸説あるようだ。ともあれ、橋の上から悠々と流れる大運河新川の流れを写真 に記録す。


 以前にも訪れたことのある「発寒古川」(歴史的な正さとして は元追分川)に出会う。ここから川沿いのサイクリングロードを北東に進む。  サイクリングロードの他にも、豪華な化粧タイルで覆われた遊歩道もあるの だが、一体何人の人に知られ使われているのかと思うと、ちょっと疑問が残る。 ロードはほどなく大きなゴルフ練習場とパークゴルフ場の敷地角で終わるが、 発寒古川はこの先発寒川本流と繋がって茨戸まで続く。現在、この先の水路の 整備工事が行われている。


  南線神社は、明治30年片山 某が四国金毘羅宮のお札をいただいて帰り小祠を祀ったのが始まりとされてい る。昭和45年に新札幌団地の造成のため現在地に遷座した。  南線神社の社殿はまだ新しいものの、境内に建ついくつかの記念碑は新旧様 々で興味深いが、中でも牛馬をともに一つに祀った慰霊碑など、他では見られないものがある。遷座がご く最近のためか社殿を囲む樹木はまだ若く荘厳さは薄いが、社守の丹精なのか 境内には花々が多く咲き乱れてよく整っている。


 境内 には、この地で明治30年に牧場を開いた「町村農場発祥の地」の碑も建って いる。札幌農学校の二期生であった町村金弥はホルスタイン種の導入・飼育を普及させ、北海道の酪農業の 発展に大きな貢献を成した。同牧場が現在の江別に移転したのは昭和3年のことであった。
新川天狗橋と碑
発寒古川の水路
南線神社正面
町村農場発祥の碑
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