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36号線旧国道を挟んで清田区役所の北向かいの高台には、明治18年創祀 の「厚別(あしりべつ)神社」が鎮座する。元々、この地域の開拓の中心人物
であった長岡重治個人の祀った小祠であったそうだが、大正6年に現在地に社 殿を建立して地域の信仰を集めるようになった。大きな鳥居を潜り南側の急な
石段を上って境内に入ると、鬱蒼とした古木に囲まれた涼しげな空間が広がる。 境内には、札幌では珍しい「上納相撲記念碑」も建っている。
来た道を厚別川の左岸土手「厚別橋」の袂まで戻り、今日はここからかって の「吉田用水」の跡を辿ってみることにした。吉田用水は、明治24年水田耕作のため、厚別川から月寒川に達する延長約5キロの用水堀で、北野から大谷地にかけての大地主であった吉田善太郎の農地を通って、人力で4ケ月という 短期間で開削されたという。清田川と厚別川との合流点のすぐ下流、コカコー ラ・ボトリングの工場裏手の道路際に大正8年建立の用水記念碑が建っている。碑表面の文字はまだ新しく最近になって彫り変えられたようだ。 大正期から昭和前半にかけての地図にも用水路の流路が記されている。
記念碑を写真に収めて再び厚別川左岸土手を北に歩いて「北野橋」に至る。 ここから川筋を離れて「北野中学校」の前から北へ吉田用水路の跡が草生した 幅10mほどの幅で延びている。現在では中央に鋳鉄製のすのこ板で覆われた 水のない細い排水溝が設けられているだけの用水路跡を辿っていくと、北野4 条3丁目の駐車スペースで用水路跡は途切れてしまう。古い地図によると用水 路は、この辺りから先現在の「清田通」に沿って流れて行き、その先は旧千歳 線(現白石サイクリングロード)の旧大谷地駅(現冒険公園)の手前で消えて しまっている。この後の流路は、かって「吉田山」と呼ばれた高みの東縁に沿 って流れ、現在の大谷地小学校の東側から「流通センター」の西縁を通って、函 館本線沿いの排水溝を伝って月寒川に入っていたようだ。
ここまで来たついでに三里川が厚別川と合流する地点を見に行く。JR千歳線と函館本線が平行隣接する鉄橋の下を潜り「厚別鉄北橋」を渡っ て函館本線の鉄路沿いに少し東に進み、「山本跨線橋」でまた線路の南側に戻
る。千歳線の南側の「三里川」に挟まれた区画は、現在、運動施設のある緑地 が設けられているのだが、元々の三里川の流路は、函館本線を越えた北側で厚
別川に合流していた。この緑地や千歳線の高架化の路盤盛り土工事の都合によ り、千歳線沿い緑地の南側で厚別川に合流するよう、昭和48年までに切替が
行われた。 |
厚別神社境内と社殿 |
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吉田用水記念碑 |
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吉田用水跡の草生した回廊 |
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厚別川へ合流する三里川とJR千歳線 |
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